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| ◆萱場梨について(歴史)◆ |
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明治19年秋、笹木野村萱場に鴫原作蔵さんが荒れ果てた萱野原のやせた土地にいろいろな作物を試行錯誤の末、早生赤種の梨50本を、田畑5反を売り、借財を整理し、初めて植栽した。その当時、養蚕業が盛んな時代、桑を栽えるのが普通で、梨を栽えたのは無謀であり笑いものになったという。その後、梨棚作りなど資金繰りは困難をきわめたという。その頃の萱場は奥羽山脈を水源とする松川が形成した扇状地で地下水位は堀坂井戸でも20m以上で、土質は砂礫土で表層は浅く砂土が混在する厚い礫質土であるため、排水良好で乾燥しやすく、福島盆地特有の夏の高温と吾妻おろしの冬の寒さで人気もなく、あれはてた松林と萱の雑草が生いしげる荒れ果てた土地であった。しかしこのような排水の良い土壌と盆地特有な高温多湿な気候に加え、昼夜の温度差が非常に大きい為に全国まれにみる肉質のやわらかく核の部分が小さな味の良い萱場梨が生産された。そして今なお、その肉質と味は変わらなく保っている。その後、苦節6年少しずつ少しずつ利益を上げ、近隣の注目を集め、急速に梨が植栽されるようになり現在数百haの広大な面積が栽培され1ヵ所でまとまった面積では日本一である。
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| (記念誌「ふくしま萱場梨百年の歩み」より) |
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| ◆頌徳碑と百年祭の記念碑◆ |
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| 明治44年佐蔵翁73才の時、近郷11ヶ町村の有志により萱場梨元祖鴫原作蔵さんの功績を顕彰して、佐々木野原果樹園の一角に頌徳碑を建立して永遠にその徳を賛えた。昭和60年11月萱場梨百年を記念して盛大な式典を開催し記念碑を頌徳碑のわきに建立し、記念誌を発行した。 |
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